インクリメンタルな日々

精神障害(双極性障害II型)をかかえるヤドカリが、日々のどーでもいいことを書き綴っていくブログです。

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ヒッグス粒子

今日、仕事の帰りに、書店へ寄ったら、
Newtonがヒッグス粒子特集を(今頃になって)載せていたので、
「記念ぐらいにはなるだろう。」ということで、購入しました。
(ヤドカリはあまり実はあまりNewton好きではない。)

結果。やっぱり、後悔。

「ヒッグス粒子がなければ、人類も存在できなかった。」
などと、バカ丸出しの記述。。。
そんなことを言ったら、
「空気がなかったら、人類は存在できなかった。」とか、
「原子核が構成されなかったら、人類は存在できなかった。」とか、
それこそ、何とでも言えるのである。
これを一般化したのが、「人間原理」と呼ばれるもので、
「なぜ、宇宙は、このような構造をしているのですか?」
という質問に対して、
「それは、人間様が誕生し存在するため必要だったからです。」
という全く答えになっていない、人類至上主義者のお答えである。
人類なんて、このちっぽけな地球という太陽系の一惑星のなかでの、
多様に進化を続けている生態系の中のほんの一種族に過ぎない。
そんなもののために宇宙が作られた、などとは片腹痛い。
こんなばかげた発想は、おそらく偏ったキリスト教の影響を
強く受けているものと推察する。

この広大な宇宙には、おそらく、無数の生命体が存在していると、
自分は考えている。決して、地球は宇宙の中心ではないのだ。
ただし、ここで言う「生命体」は、
その定義をきわめて大きく拡大する必要がある。
究極的には、「自己複製能力を持つ」
この一点に集約されるのではないだろうか。
この条件さえ満たせば、例えば、体が金属でできていようが、
電子顕微鏡でないと見えないほど小さかろうが、
生命体とみなして良い、と自分は考える。
逆に言えば、手足頭があって二足歩行している限り、
自分は、むしろ、「あり得ない」と考える。
宇宙の多様性に対する侮辱であると思う。
なにせ、この地球という地球と全く同じ環境の中でさえ、
二足歩行している生物は人類しかいないからである。
それを、この広大な宇宙の多様な条件下で、
そこまでそっくりさんが出来上がるとは考えにくいと
自分は感じるのである。

話が、ヒッグス粒子からかなりそれたが、
ヒッグス粒子が無かったら無かったで、
全く別の形の生命体が生まれたであろうことは
想像に難くないと思うのは、自分だけであろうか?
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